考えないで感じよう。「全体意識」を生きると人生は上手くいく


小さいとき、家の前にある電線に渡り鳥がやってきて、さえずり合う光景をよく眺めていました。何百匹という鳥たちが電線を埋めつくし、そのさえずりはさながら合唱のように響いていました。個々がそれぞれさえずっていたかと思うと、ある瞬間、いっせいに空に飛び立つのです。

私は幼心に不思議に感じていました。「どうしてあんなにたくさんの鳥たちが、いっせいに飛び立つんだろう」と。これにはいろんな説があって、リーダーとなる鳥がいて、その鳥が合図を送っているとか、リーダーが飛び立つのを見て、みんな続くのだとか。

でも、その光景を実際に見る限り、数羽が遅れることはあっても、ほぼ見事に同時に飛び立つのです。さらに、空を埋め尽くすくらいの集団なのに、1羽もぶつかることがなく編成を変えながら、まるで大きなひとつの生き物のように羽ばたいていくのです。

いま感じるのは、鳥は「全体意識」をきちんと感じているのだなということです。個々ではなく、もっと大きなひとつの意思。そこをしっかりと感じているから、「さあ、飛び立つぞ」という信号を同時に受け取っているのだと推測しています。

これは、他の動物たちも同様です。一種のテレパシーのようなものでしょうか。でも、人間は言語を発展させてしまったので、個別意識はすさまじく進化しましたが、この、全体を感じる力は衰えてしまいました。「アダムとイブ」の話では、イブが蛇にそそのかされて、「知恵の実」を食べてしまいます。「知恵(言語)」を発達させることは、全体からの分離ともいえるでしょう。

この全体との分離が、人間を大きく苦しませていると感じます。

なぜなら、全体意識は私たち個別意識とちがって、生命の喜びに深く根ずいているからです。瞑想の実践者が心の平安や説明できない幸福感に包まれるのは、この全体意識を取り戻している証です。

本来、私たちは喜びの中に生きています。個別で奏でた音が、オーケストラの演奏のように周りと調和して、美しく世界に響いた状態で生きているのが、全体意識で生きている状態。この状態にはいると、物事が非常にスムーズに運びます。

でも、全体と切り離されて、「言葉」だけで自分の人生や価値を考えてしまい、それを追い求めると全体から外れて、不協和音を奏でることになります。

空を羽ばたく渡り鳥のように、調和した人生を取り戻すためには、頭でっかちにならないで、まずは感じることを大切にすることからはじめてみましょう。

感じることの大切さについては、またの機会に書いてみたいと思います。

メーテル徹子

webライター
東京都在住。トロント、ニューヨークに滞在後、帰国して出版社に勤務。現在はフリーで幅広く活動中。シンプルで上品、かつ洗練されたライフスタイルをめざし、都会でのエコライフを実践中。趣味はジャグリング。愛猫2匹に尻にしかれる猫下僕でもある。

          

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